第一章:暗黒の揺りかご その場所には、音というものが存在しない。宇宙船『アイギス号』の最下層にある冬眠室。そこには、何百もの細長いカプセルが、まるで巨大な昆虫の卵のように整然と並んでいて、カプセルの表面は薄い霜に覆われ、内部からは青白い光が…
第一章:消失した秘伝の書 その日の朝、日出処(ひいづるところ)の国、瑞穂国(みずほのくに)の宮廷は、かつてない戦慄に包まれていた。事の始まりは、宮廷菓子職人の長、源内(げんない)が上げた悲鳴だった。彼は、代々の天皇や貴族たちを唸らせてきた「…
第一章:遮断された天球 世界に「影」という概念は存在しない。正確には、地上に届くはずのあらゆる光子が、成層圏を覆い尽くした巨大な黒い膜によって、根こそぎ奪い去られてしまったのである。人々が「ソーラー・キャノピー」と呼ぶその構造物は、全地球の…
第一章:銀河帝国の襲来と、たった一枚の提出書類 その日、地球の空は巨大な鉄の板で覆い尽くされた。宇宙の果てからやってきた銀河帝国「ギガ・ザ・ビュロクラシー」の主力艦隊である。彼らはこれまで、数千の惑星をその圧倒的な軍事力で支配してきた。だが…
第一章:鉄の香りに囚われた二人 かつて工業地帯として栄え、今は波の音だけが響く埋立地の端にある巨大な廃工場。錆びついた鉄板が風に叩かれ、虚ろな音を立てている。その内部、割れた窓から差し込む月光が照らし出す場所に、二人の男が向かい合っていた。…
第一章:布の層、重なる記憶 その部屋の空気は、春先だというのに驚くほど重く、そしてどこか埃っぽい。二十五歳の真希は、鏡の前に立ち、自分の姿をじっと見つめている。彼女の体は、異様な厚みに包まれている。一番下には、薄いキャミソール。その上に、淡…
第一章:唐草模様の訪問者 その男、一文字型平(いちもんじ・かたひら)が街に現れたとき、商店街の空気は一瞬にして昭和の中期へと巻き戻された。六月の蒸し暑い午後だというのに、型平は着古した腹巻きに半纏を羽織り、鼻の下には墨で書いたような立派な泥…
第一章:三年の約束、渇きの始まり 街の喧騒から遠く離れた山の麓にある茶屋。名前すらないその店を訪れるには、一つの厳格な約束を守らなければならないという。予約をしたその日から、実際に茶を口にするまで、ちょうど三年の月日を待つこということ。 三…
第一章:断片化された脳、流れる視界 公園のベンチに座る少年も、駅のホームで電車を待つ少女も、皆一様に、掌の中にある光り輝く薄い板を、虚ろな目で見つめている。彼らが目にしているのは、零コンマ五秒ごとに切り替わる、原色の閃光と鼓動のような低音。…
第一章:晴天の死神と、不穏なオフ会 思えばその日は、残酷なまでの快晴であったと言える。空は吸い込まれるようなコバルトブルーに染まり、風は心地よく、日差しは初夏を予感させる輝きを放っていた。気象庁の予報によれば、降水確率は午前、午後ともに〇パ…
第一章:完璧な偶然という名の罠 その夜、港区の会員制バーは、重厚なジャズの旋律と、芳醇な葉巻の香りに包まれていた。若きエリート外交官、高木誠司(たかぎ・せいじ)は、カウンターの隅で冷えたウイスキーを転がしていた。三十代前半にして次期大使候補…
第一章:トラックの衝撃と、動かないステータス その日、茂木勉(もぎ・つとむ、五十二歳)は、人生で最も「どうでもいい」瞬間を迎えていた。コンビニの帰り道、手には半額シールの貼られたツナマヨおにぎり。昨夜から何も食べていなかった彼の胃袋は、その…
第一章:雨のネオン、楽屋の鏡 昭和五十三年、新宿。湿った熱気がアスファルトから立ち上り、場末のストリップ劇場「銀世界」の周囲には、逃げ場のない淀んだ空気が漂っていた。看板のネオンが、雨上がりの水たまりに毒々しいような極彩色を描き出している。…
第一章:墨の薫り、春の宵 慶応三年、春。京都の街は、幕府の権威が砂の城のように崩れ落ちようとする、不穏な熱気に包まれていた。鴨川のほとりに建つ古びた長屋の一室。そこには、市井の絵師として名を馳せている雪舟という男がいた。雪舟は、御用絵師のよ…
第一章:暗黒の階段、震える勧誘 「ダメだ。これ、絶対ダメなやつ……」 大学生の健は、古びた○○ビルの非常階段の前で、膝をガクガクと震わせていた。壁には剥がれかけたポスター。そこには、赤黒いスプレーで『地下には悪いウワサがある…』と殴り書きされてい…
第一章:鉄の棘、拒絶のベンチ かつて「座る」という自由があった場所。渋谷駅のハチ公前広場から少し歩いたところにある小さな緑地。そこは、学校帰りの高校生たちがコンビニの袋を広げたり、夜更けに仕事帰りの若者が缶コーヒーを片手に一息ついたりする、…
第一章:稽古場の砂と、消えた背中 東京の片隅にある小さな相撲部屋。朝五時、まだ街が眠りの中に沈んでいる頃、稽古場からは「ドシン、ドシン」という地響きのような音が聞こえてくる。高校三年生の輝(あきら)は、冷たい板張りの床に座り、土俵を見つめて…
第一章:乳白の海と黄金の浮遊島 朝の柔らかな光が差し込んでいた。そこは陶器で作られた巨大な円形の平原――地上の人間たちが「ボウル」と呼ぶその聖域には、今、静かに「乳白の大海」が注ぎ込まれたところ。冷たく、なめらかで、すべてを白く染め上げるミル…
第一章:鉄の雨と、少年の誓い その街の片隅にある公園は、いつも錆びた鉄の匂いがした。夕暮れ時、茜色の空が急速に夜の藍色に飲み込まれていく時間帯、十歳の拓也は砂場に這いつくばっていた。口の中に広がる血の味。頬を伝う泥混じりの涙。拓也の目の前に…
第一章:封筒の重みと、湿った放課後 六月の湿った空気が、放課後の教室に重く沈んでいた。高校三年生の高倉美咲は、窓の外で降り始めた霧雨をぼんやりと眺めていた。クラスメイトたちは、受験勉強や部活動のために慌ただしく教室を去り、残っているのは数人…
第一章:鏡の中の知らない男 朝の光が、静かな寝室のカーテンを透かして、白いシーツの上に柔らかな縞模様を描いている。七十五歳になった健一は、隣で眠る妻、美族(みたけ)の穏やかな寝顔をじっと見つめていた。彼女の肌には、共に歩んできた四十年の歳月…
第一章:台所の不審な煙 その日の朝も、台所からは不穏な音が響いていた。ガチャン、という派手な音に続いて、「アカン!」という野太い叫び声。それから、ジュウ、という何かが激しく焼ける音と、鼻を突くような焦げ臭い匂いが漂ってくる。高校三年生の結衣…
第一章:二つの国家、一つの影 イランという国を地図で見れば、そこには大統領がいて、国会があり、役所がある。普通の国と同じように見える。しかし、その華やかな表通りのすぐ裏側には、もう一つの、目に見えない巨大な「国」が脈打っている。その名は、イ…
第一章:地下二階の沈黙 ワシントンD.C.の北西、ペンシルベニア通り百六十番地。世界で最も有名で、かつ最も厳重な警戒が敷かれたその邸宅の地下には、公表されている図面には存在しない階層がある。 地下二階。 そこは、緊急事態管理センターや核シェルター…
第一章:解氷のフロンティアと泥濘の覇権 二〇四〇年代、シベリア。かつて人類を拒絶し続けた永久凍土の監獄は、今や地球上で最も「熱い」欲望の角逐場へと変貌を遂げていた。温暖化という地球規模の災厄は、この北の大地から凍てつく呪縛を解き放った。数万…
第一章:ガラスの仮面と午前四時の儀式 午前四時。都会の喧騒が最も深く沈むその時刻、ノアの「一日」は、冷徹な儀式と共に幕を開ける。彼女の寝室は、寝室というよりは高度に管理された細胞培養室のようだった。遮光カーテンは一筋の光も通さず、空気清浄機…
第一章:震える演壇と黄金の鼻毛抜き 今日もその男、ドミトリー・バカボーン三世は、鏡の前で自らの威厳を最終確認していた。漆黒の軍服には、身に覚えのない戦功を称える五百個の勲章がひしめき合い、歩くたびにジャラジャラと安っぽい鎖の音を立てる。頭上…
第一章:芝生に沈む追憶の断片 その競技場は、常に重苦しさを帯びている。北海から吹き付ける湿った風が、人工的に敷設された特殊な粘土質の土壌を、底なしの沼のように変質させているからだ。観客席を埋め尽くす群衆の熱気さえも、この「共鳴型ラグビー(レ…
第一章:始まりの産声 その朝、東京都心の高級マンションの一室で、一人の赤ん坊が息絶えていた。死体には外傷一つなく、ただ安らかな眠りについているかのように見えた。しかし、その額には、一分の狂いもなく切り抜かれた英字新聞の文字が、柔らかな肌に直…
第一章:蔵前の憂鬱 昭和、という時代の残照が、隅田川の川面にギラギラと反射している。蔵前国技館の古びたコンクリートの壁は、何万人もの男たちの汗と、勝負に散った怨念を吸い込み、異様な圧迫感を放っている。その「砂かぶり」と呼ばれる、力士の吐息さ…