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SCENE#77  需要と供給の二次関数 Supply, Demand, and the Parabola of Fate


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第一章:均衡の街エカテと天才の重圧

 

 


均衡の街エカテの夜は、常に緑と赤の光に照らされていた。街の中心にある「中央広場」の上空には、直径数百メートルにも及ぶホログラムが浮かび、主要エネルギー源「ルクス・クリスタル」の需要曲線 (Q_D) と供給曲線 (Q_S) が、絶えず微妙に脈動していた。

 

 

 

 

エカテ均衡管理庁。最上階の円形オフィスは、街のすべての経済データが集積する心臓部だった。ここで働くアリス・ヴァルターは、23歳という若さでチーフアナリストの地位にあった。彼女のデスク前には、二つの二次関数の演算結果が光の粒子として漂っている。

 

 

 

 

従来の経済学者たちが市場の反応を「線形」の関係でしか捉えられなかった中、アリスは人間の集合的な感情――価格変動に対する「熱狂」や「絶望」といった加速度的な反応を統計学的に解析し、価格の二乗 (p^2) の項を導入した。この革新的な二次関数モデルのおかげで、エカテは数年間、驚くべき経済的安定と繁栄を享受してきた。彼女の数式は、街の「絶対的な秩序」の象徴だった。

 

 

 

 

「 p^2は 45.20 クリッドで安定。在庫回転率も誤差 0.01% 以内。完璧ね!」

 

 

 

アリスは、データコンソールに映し出された数値に満足そうに頷いた。しかし、彼女の心は常に重圧にさらされていた。この街の数百万の生活が、彼女の係数調整一つにかかっているのだ。

 

 

 

 

その時、オフィス全体に電子的なアラート音が鳴り響いた。

 

 

 

「緊急報告!ルクス・クリスタルの現物市場、ゾーンE-7にて、価格 p^2が 45.00 から 44.85 へと 0.33% 下落。しかし、それに伴う需要急増が、予測比 185% を記録!」

 

 

 

 

アリスは慌てて画面を拡大した。 Q_D を示す緑の放物線が、均衡点から離れるに従って、急速に垂直に立ち上がっている。これは、価格がわずかに下がっただけで、「今買わねば!」という投機的な熱狂が異常な速さで市場を席巻したことを意味する。

 

 

 

「まさか…需要曲線の二次係数 -a の値が、基準値から0.007も乖離している。これは統計的な異常値を超えているわ…」

 

 

 

 

アリスは血の気が引くのを感じた。市場の熱狂度が、自然変動の許容範囲を完全に超えている。誰かが、意図的に市民の非合理的な衝動を刺激している――そう確信せざるを得なかった。アリスにとって、これは単なる数値の異常ではなく、彼女が心血を注いだ「完璧な秩序」への挑戦だった。

 

 

 

 

第二章:知識の独占者「ゼノン」の冷徹な合理性

 

 


アリスが直面した異常事態の背後には、巨大なデータと供給を支配する企業「ノロジー」があった。そして、その頂点に立つのが、CEOのゼノン・カインだ。彼は40代の冷徹な美貌を持つ男で、すべてを「利益極大化」という数式で捉える、徹底した合理主義者だった。

 

 

 

 

アリスは、ノロジーの供給システムに張り巡らされた複雑な暗号を解読し、違法な市場操作の証拠を探った。数時間の激しい解析の末、彼女の端末にゼノンからの暗号化されたメッセージがポップアップした。

 

 

 

 

「きみの美しい数式は、感情という名の変数を過小評価している。感情は非合理だが、予測可能だ!そして、予測できる感情は、最高の商品になる。わたしの知識とデータは、きみの均衡モデルよりも常に一歩先を行く!」

 

 

 

 

メッセージに続き、ノロジーが行った供給操作のデータが、皮肉にも詳細に表示された。ゼノンは、ルクス・クリスタルの高価格帯に焦点を絞り、供給曲線 Q_S の二次係数 d を操作していた。具体的には、価格 p^2が 50 クリッドを超えると、供給を意図的に絞り込むというプログラムを仕込んでいた。これにより、供給曲線 Q_S は、高価格になるほど加速度的に上向きに曲がる、極端な「下に凸」の形状に歪められていた。

 

 

 

 

「信じられない…価格が高いときほど、利益を追求して供給を増やすのが合理的なはずなのに!」

 

 

 

アリスは息を飲んだ。しかし、ゼノンの戦略は冷徹に計算されていた。高価格で供給を絞り込むことで、ルクス・クリスタルの希少性を演出し、さらなる価格上昇への期待を煽る。この操作された「希少性の情報」こそが、市民の投機心を極限まで高め、アリスの需要曲線 Q_D の非合理的な加速度(-ap^2)を異常に増幅させていたのだ。

 

 

 

 

ノロジーの供給操作が、市民の不安と熱狂という形でアリスの需要モデルに跳ね返ってくる。アリスの「均衡」という数学的使命と、ゼノンの「知識とデータによる利益極大化」という欲望が、二次関数の係数操作をめぐって、水面下で激しく衝突し始めた。

 

 

 

 

第三章:均衡点の消失と街のパニック

 

 


ゼノンの操作は、とどまるところを知らなかった。

ノロジーは、全市民の端末に「ルクス・クリスタルの採掘場が予期せぬ事故により操業停止した」という、精巧に偽装された「データレポート」を流した。これはゼノンの知識独占の力を最大限に利用した、究極の情報操作だった。

 

 

 

 

この誤情報によって、市民の不安と焦りはピークに達し、需要曲線 Q_D は完全に制御不能な状態に陥った。価格のわずかな変動に対する反応は、もはや二次関数どころか、指数関数的とさえ言えるほどの急カーブを描き始めた。

 

 

 

 

そして、その直後、ゼノンは供給曲線 Q_S の d を、さらに非合理的な値へと最終調整した。夜空のホログラムが、制御不能の警告を叫び始めた。赤と緑の放物線は、互いに近づいたり離れたりする、不安定な波形を描いている。

 

 

 

「警報!二次関数の交点、演算領域外へ!均衡点 p^ が消失しました!」

 

 

 

管制室のモニターが真っ赤に点滅する。アリスは全身の力が抜けるのを感じた。二つの二次関数が、安定した一つの交点を完全に失ってしまったのだ。

 

 

 

 

その結果は、即座に街全体に反映された。ルクス・クリスタルの市場価格は、秒単位で暴騰と暴落を繰り返す「振動(バイブレーション)」を開始した。価格が 20 クリッドまで急降下したかと思えば、次の瞬間には 90 クリッドに跳ね上がり、街は混沌に飲み込まれた。商店は略奪され、人々はクリスタルを求めて暴動を起こし始めた。

 

 

 

 

アリスは、自分のすべてであった「完璧な数式」が、人間の欲望と、それを操作する「ノロジー」の知識によって、いとも簡単に崩壊させられた現実に直面し、激しい自責の念に駆られた。彼女の眼には、数学の美しさではなく、人間の醜い集合的衝動が映っていた。

 

 

 

 

 

第四章:恩師の教えと「信頼」という名の未知数

 

 


パニックに陥る管制室を後にし、アリスは亡き恩師の研究室へ足を運んだ。暗闇の中、彼女は古いデータストレージを漁り、ゼノンとの論争記録と、手書きのメモを見つけ出した。

 

 

 

 

「ゼノンは常に、完全な知識と完璧な合理性が均衡を生むと主張した。だが、それは錯覚だ。市場を支配するのは、データではない。それは、人々が互いに対し、システムに対し、どれだけの信頼を置いているかだ。数式は世界の影を追うものだ。その影を安定させるには、方程式に『心』の変数、すなわち社会的な定数を組み込む必要がある…」

 

 

 

 

アリスはメモを握りしめた。彼女はこれまでのデータを見直した。価格変動の激しさと、需要曲線の定数項 c に、明確な逆相関があることに気づいた。

 

 

 

c が高い時期(経済が安定し、市民が行政を信頼していた時期)は、価格変動に対する人々の反応(加速度 -a)は非常に穏やかだった。つまり、「信頼」が高いと、非合理的な衝動は抑制される。

 

 

 

 

「そうか…私が闘うべきは、ゼノンの d や、人々の -a そのものではない。信頼という名の定数 c を回復させれば、市場の暴走を根本から止めることができる!」

 

 

 

 

彼女の新たな仮説は、「行政の備蓄や緊急供給データを織り交ぜた『公共の安心保証値』を定数 c として強制的に入力し、社会的な信頼を回復させることで、非合理的な衝動の加速度(-ap^2)の力を打ち消す」という、究極の「非経済的介入」だった。これは、数学者としてのプライドを捨て、政治的な決断を下すことを意味していた。

 

 

 

 

 

第五章:大広間での「数式決戦」

 

 


アリスは、決戦の場として、未だに価格振動のホログラムが狂ったように点滅する中央広場を選んだ。街の市民が、恐怖と怒りの目でホログラムを見上げている。

 

 

 

 

ゼノンはノロジー本社ビルの最上階から、広場の様子を衛星回線を通じて見下ろしていた。アリスが広場のメインサーバーに接続すると、ゼノンの声が街全体に響き渡った。

 

 

 

 

「アリス!愚かな試みだ。きみは所詮、私のデータの演算結果にすぎない。均衡は、最も強い者が支配する情報によって設定される。きみの『均衡の美学』は、人間の欲望という名の放物線には勝てない!」

 

 

 

 

アリスは端末に、慎重に計算されたコードを入力し始めた。

 

 

 

「ゼノン!あなたの数式は、短期的な欲望の極大値しか見ない!私は今、市場の『心』、すなわち長期的安定を再構築する!」

 

 

 

彼女の最初の操作は、ノロジーが歪めた供給曲線 Q_S の係数 d を、公共の利益を最優先した値へと戻すことだった。 Q_S の放物線は、ゼノンの独占的な影響力を失い、ゆっくりと本来の安定した曲率を取り戻し始めた。

 

 

 

 

そして、いよいよ最終局面。アリスは、行政が持つ全備蓄と緊急供給のデータを統合し、それを担保とする「公共の安心保証値」を算出し、需要曲線の定数 c に強制的にロックした。

 

 

 

さらに、彼女は二次項の係数 -a を調整。短期的な収益機会を極限まで抑えるという、自己犠牲的な調整を行った。 Q_D は、投機的な熱狂を拒絶する、極めて緩やかな放物線へとその形状を変えた。

 

 

 

 

 

第六章:ノロジーの敗北と新たな均衡の誕生

 

 


アリスの最後のコード入力が完了した瞬間、ホログラムのグラフは劇的な変化を遂げた。需要曲線 Q_D は、過度な熱狂を失い、なだらかに下向きの弧を描く。そして、供給曲線 Q_S は、独占的な貪欲さを排除した、公平な弧を描いた。

 

 

 

 

二つの曲線は、以前よりも遥かに低い価格水準と、市民にとって最も有利な高い数量で、ただ一つの安定した交点を結んだ。

 

 

 

「なぜだ…なぜ私のモデルが…」ゼノンの声が絶叫に変わった。

 

 

 

「あなたの数式は、『利益』の極大化に特化していた。しかし、私の数式は、『安定』の極大化を選んだのよ。私が定数 c に『信頼』を固定した今、人々は非合理的な衝動に駆られなくなった。あなたのデータによる操作は、その土台を失ったのよ、ゼノン!」

 

 

 

 

ゼノンは逮捕され、ノロジーのデータ独占は崩壊。街のパニックは収束し、市民たちは夜空に浮かぶ、穏やかな新しい放物線を呆然と見上げていた。

 

 

 

 

 

第七章:経済の心とアリスの誓い

 

 


市場は安定を取り戻し、ルクス・クリスタルは混乱前の価格よりも安価に、そして大量に市民の手に渡り始めた。

 

 

 

 

アリスは、均衡管理庁の屋上から、夜明けの光に照らされた中央広場を見下ろしていた。ホログラムのグラフは、もはや恐怖の象徴ではなく、穏やかな共存の美しさを示している。彼女は端末を取り出し、需要曲線の数式に、新しい言葉を添えた。

二次関数は、彼女にとって「完璧な秩序」の象徴から、「人間の心を映し出す鏡」へと変わった。

 

 

 

 

 

「真の均衡とは、Q_D = Q_S という代数的な、機械的な解ではない。それは、私たち人間が互いにどれだけ信頼し、どれだけ分かち合おうとするかによって決定される、社会的な解だ…」

 

 

 

 

彼女は、均衡の街エカテの新たな指導者として、数学と人間性を融合させた、「経済の心」を持つ統治者となることを誓った。彼女の次の使命は、人々の心に、この美しい放物線のような、安定した「信頼」の弧を描き続けることだった…