SCENE

誰かの朝、誰かの夜。 すれ違う時間の中に、物語はひっそりと立ち上がる。 喜びや痛みが言葉になる前の、かすかな瞬間をすくい取るように。 これは、世界のどこかで息づく人々の、小さな「場面(シーン)」の記録です。by-魚住 陸 Riku Uozumi

SCENE#171  男余り〜レンタルお父さん在庫一掃セール Surplus Men: The Last Rental Dad Sale

第一章:第13倉庫の「在庫」たち

 

 

 

 


かつて大手都市銀行の支店長まで務め、部下百人を顎で使っていた赤坂隆三(62歳)は、再就職先の面接会場で、担当者から氷のような視線を向けられていた。

 

 

 


「赤坂さん、あなたの経歴は素晴らしい。ですが、今の日本は深刻な『男余り』でしてね。定年後のプライドの高い男性は、産業廃棄物よりも処分に困るんですよ…」

 

 

 


担当者は一枚の地図を隆三に押し付けた。

 

 

 


「とりあえずこちらで待機してください。仕事があれば、また呼びますから…」

 

 

 


隆三がバスを乗り継ぎ、辿り着いたのは、都心から遠く離れた埋立地にある、巨大な灰色のプレハブ倉庫だった。看板には「人材派遣会社・第13待機所」とあるが、錆びついた鉄扉はまるで刑務所の入り口のようだった。重い扉をギギーッと開けると、そこには異様な光景と、澱んだ空気が広がっていた。

 

 

 

 


湿気た煎餅と安いタバコ、そして加齢臭が混ざった独特の臭気。体育館のような広大な空間に、数百人のジャージやヨレヨレのスーツ姿の中高年男性たちが、パイプ椅子に座って虚空を見つめている。ある者は終わらない将棋を指し、ある者は競馬新聞を読み、ある者はただ口を開けて寝ている。

 

 

 

 


ここは通称「姥捨て山」ならぬ「男捨て倉庫」…

 

 

 


定年後も働く意欲はあるが、特別なスキルもなく、プライドだけが無駄に高い「余剰在庫」の男たちが、社会から隔離され、死ぬまでの時間を潰すための場所だった。隆三は足が震えた。

 

 

 

 

「まさか、私が…この『在庫』の一部になるとは…」

 

 

 

 

 

 


第二章:スペック表の「特技:なし」

 

 

 

 


「おい新入り、そこは『イビキの田所』の席だ。どきな!」

 

 

 


茫然と立ち尽くす隆三に声をかけてきたのは、この倉庫の主(ぬし)と呼ばれる古株の源(げん)さんだ。頭にはタオルを巻き、腹巻姿の彼は、ここのルールブックそのものだった。

 

 

 


「ここでは現役時代の肩書きなんざ、クソの紙くずほどの価値もねえ。重要なのは『いかに暇を潰すか』と『いかに安く自分を売るか』だけだ…」

 

 

 

 


源さんは隆三の手にある登録カードをひったくると、鼻で笑った。

 

 

 


「ほう、元支店長様か。だが、ここでの評価を見てみろ!」

 

 

 


隆三が覗き込むと、そこには残酷な現実が記されていた。

 

 

 


【氏名:赤坂隆三 / ランク:E(需要なし) / 特技:印鑑の角度調整、宴会芸(ドジョウすくい)、部下への説教】

 

 

 


「な、なんだこれは! 私は融資のプロだぞ! この国の経済を支えてきたんだ!」

 

 

 


隆三が顔を真っ赤にして叫ぶと、倉庫中の「余り男」たちが一斉に振り返った。その目は怒りではなく、深い哀れみを湛えていた。「ああ、また『自分は特別だ』と思っている痛いのが来たな…」「じきに心が折れるさ…」という、諦めの視線だった。

 

 

 

 


隆三は屈辱に震えながら、指定されたパイプ椅子――脚がガタつく最下層の席――に、ドスンと腰を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 


第三章:誰でもいいから、男をくれ

 

 

 


倉庫に来て一ヶ月。隆三の仕事はゼロだった。毎日、朝9時に出勤し、夕方5時までパイプ椅子を温める日々。プライドは摩耗し、代わりに無力感が骨の髄まで染み込んでいた。ある雨の午後、倉庫内のスピーカーから、やる気のない事務員の声が響いた。

 

 

 

 


「えー、緊急募集。仕事が入りました。寂れた商店街からの依頼です!」

 

 

 


倉庫内の空気が一変した。全員がゾンビのように顔を上げる。

 

 

 


「内容は、イベントのサクラ。条件は…えー、“生きていれば誰でもいい”。時給は最低賃金以下。とにかく男を50人くれ、とのことです!」

 

 

 


「誰でもいい」。それはかつての隆三なら激怒したであろう言葉だ。しかし、今の彼にとっては、自分が社会と繋がる唯一の蜘蛛の糸に見えた。

 

 

 


「私…行きます!」

 

 

 

 


隆三は真っ先に手を挙げた。源さんや、元窓際族で存在感の薄い田中、元クレーマー処理係で常にペコペコしていた佐藤など、選りすぐりの「売れ残り」50人が選抜された。彼らは錆びたマイクロバスにぎゅうぎゅうに詰め込まれ、ドナドナのように出荷されていった。車内で源さんが呟いた。

 

 

 

 


「へっ、俺たちを必要とするなんて、よっぽど切羽詰まった現場なんだろうよ!」

 

 

 

 

 

 


第四章:ゴーストタウンのサクラと、枯れた笑顔

 

 

 


到着した「さびれ商店街」は、その名の通り、シャッター通りと化していた。蜘蛛の巣が張ったアーケードの下、依頼主である商店街組合の若き女性会長・エリカが待っていた。彼女はバスから降りてきた集団――グレーの背広やジャージを着た、生気のないおっさん50人――を見て、絶句した。

 

 

 

 


「あの…ちょっと待って…もう少し、こう、キラキラした男性はいないんですか? 若者とか…」

 

 

 

 


「在庫はこれしかありません。返品不可です!」

 

 

 

 


派遣担当者が無慈悲に告げ、バスは走り去った。隆三たちの仕事は、数少ない営業中のカフェや定食屋の席に座り、「賑わっている雰囲気」を演出する仕事だった。

 

 

 

 


「さあ、皆さん! 楽しそうに談笑してください! お客さんを呼び込んでください!」

 

 

 

 


エリカが必死に指示を出すが、長年の管理職生活と倉庫での虚無生活で表情筋が死滅した隆三の笑顔は、どう見ても「借金の取立て」か「リストラの通告」にしか見えなかった。ガラス越しに隆三と目が合った通行人が、悲鳴を上げて逃げていく。

 

 

 

 


「おい、そこの元支店長さんよ! 顔が怖いんだよ! 般若かお前は!」

 

 

 


隆三を怒鳴った源さんはというと、持ち前の図々しさで商店街の老婆たちと瞬く間に馴染み、漬物をねだって井戸端会議の中心になっていた。「余り男」たちは、ここでもやはり役に立たないのか。エリカの溜息が、重く響いた。

 

 

 

 

 

 


第五章:クレーマー来襲と、無駄なスキルの輝き

 

 

 

 


その時、商店街の静寂を破る怒号が響いた。

 

 

 

 


「おいコラ! いつまで営業してんだ! さっさと立ち退きのハンコ押せや!」

 

 

 

 


現れたのは、近隣に建設予定の巨大ショッピングモールの開発業者が雇った、柄の悪い男たちだった。彼らはエリカを取り囲み、恫喝を始めた。

 

 

 

 


「こんなジジイとババアしかいない商店街、価値なんざねえんだよ! 潰して駐車場にした方が世のためだ!」

 

 

 

 


エリカは恐怖で震えていた。

 

 

 

 

 

「や、やめてください…ここは皆の大切な場所なんです…」

 

 

 

 


男がエリカの肩を突き飛ばそうとしたその瞬間、元クレーマー処理係の佐藤が動いた。彼は音もなく男たちの前に滑り込むと、地面に額を擦り付けるような、芸術的な「ジャンピング土下座」を披露した。

 

 

 

 


「申し訳ございませんんん!! お客様のお怒りはごもっともでございますうぅぅ!!」

 

 

 

 


あまりの勢いと、地面にめり込むような美しいフォームに、男たちは呆気にとられた。

 

 

 

 


「あ? なんだこのジジイは…」

 

 

 

 


間髪入れず、源さんが大声を張り上げた。

 

 

 

 

「あらやだ! 暴力よ! 若い男たちが老人を虐めてるわ! 動画撮って拡散しなきゃ!」

 

 

 


源さんの声に井戸端ネットワークの老婆たちが一斉にスマホを構えた。現代の監視社会において、老人の集団ほど恐ろしいものはないのだ…

 

 

 

 

 

 


第六章:余りモノたちの逆襲

 

 

 

 


混乱する男たちを見て、隆三の腹の底で、燻っていた何かが弾けた。

 

 

 


「私は支店長だ。何十年もの間、部下の不始末も、理不尽な本部の要求も、すべて飲み込んで頭を下げてきたんだ。だが、それは「守るべきもの」があったからだ!」

 

 

 

 


今の彼には守るべき地位はない。しかし、目の前で泣いている依頼主がいる。隆三はヨレヨレのスーツの襟を正し、ゆっくりと立ち上がった。その背中から、現役時代の覇気が湯気のように立ち上る。

 

 

 

 


「貴様ら…いい加減にせんか…」

 

 

 

 


低く、ドスの効いた声。それはかつて不良債権回収の現場で数々の修羅場を潜り抜けた、「鬼の隆三」の声だった。

 

 

 


「貴様らの行為は、刑法223条の強要罪、および234条の威力業務妨害にあたる可能性が極めて高い…

今、この場にいる50人の目撃証言と、録画データを持って、貴様らの本社…いや、警察とマスコミにねじ込んでやってもいいんだぞ!!」

 

 

 

 


さらに、背後から他の「余り男」たちも立ち上がった。元刑事、元法務部、元ヤクザ(?)。それぞれの「昔取った杵柄」のオーラが、男たちを圧倒した。佐藤の土下座による足止め、源さんの情報拡散、そして隆三の論理的恫喝。社会のレールから外れた「余りモノ」たちの完璧な連携プレーだった。

 

 

 

 


「くっ…覚えてろよ、枯れ木どもが!」

 

 

 

 


男たちは捨て台詞を吐き、逃げるように去っていった。

 

 

 

 

 

 


第七章:それでも倉庫は満員だ

 

 

 

 


「ありがとうございました!」

 

 

 

 


エリカは涙を流して隆三たちの手を握った。

 

 

 

 

 

「おじさんたち、かっこよかったです!」

 

 

 

 


その夜、商店街から振る舞われたビールと焼き鳥は、どんな高級料亭の酒よりも美味かった。隆三たちは久しぶりに、誰かに必要とされる喜びを噛み締め、赤ら顔で笑い合った。しかし、物語は安易なハッピーエンドでは終わらない。

 

 

 

 


翌日、隆三たちは再び「第13待機所」に戻っていた。社会の構造は変わらず、不景気は続き、彼らは依然として「男余り」の在庫のまま。エリカの商店街に雇ってもらえるほどの奇跡も起きなかった。
しかし、倉庫の空気は、以前のような絶望的な灰色ではなかった。パイプ椅子の座り心地は相変わらず最悪だ。でも、男たちの顔には微かな生気が戻っていた。

 

 

 

 


「王手だ、元支店長!」

 

 

 

 


源さんが将棋の駒をパチリと打つ。

 

 

 


「ふん、まだまだ粘るぞ。我々は時間と執念だけは、腐るほど余っているからな…」

 

 

 

 


隆三はニヤリと笑い、将棋盤に向かった。隆三の記録カードの「特技」の欄には、まだ、新しいものは何も書かれていない。しかし、この掃き溜めのような場所で、次はどんな「無駄な依頼」が来るのか、少しだけ楽しみにしている自分がいた。

 

 

 

 


世の中は男で余っている。しかし、余っているからこそ、埋められる隙間も、守れるものもあるのだ。
第13倉庫からは、今日も野太い笑い声と、駒を打つ乾いた音が響いている…