第一章:救世主は、銀色のセダンに乗ってやってきた
その日、上霞(かみかすみ)村の空気は、これまでになく「期待」という名の湿り気を帯びていた。村の入口に立つ、錆びて判読不能になったバス停の標識。その横を、排気音さえ上品な銀色のセダンが静かに通り抜けていった。車から降り立ったのは、仕立ての良すぎる紺色のスーツを纏った男、甘利(あまり)だった。彼は、村の唯一の拠点である公民館の壇上に立つと、集まった十数人の老人たちを見渡し、眩しいほどの白い歯を見せて微笑んだ。
「皆様、おめでとうございます。この上霞村は、本日をもって『死にゆく村』から『永遠に生きる楽園』へと生まれ変わる切符を手にしました!」
男が提示したのは、数億円規模の政府補助金と、彼が代表を務めるコンサルティング会社による「地方創生トータルパッケージ」の提案書だった。提案書の表紙には、誇らしげにこう書かれていた。
「プロジェクト・ノスタルジア:忘れ去られた日本の再構築」
村の若手といっても四十代後半の康太は、最後列でパイプ椅子を軋ませながらその光景を眺めていた。村は限界だった。耕作放棄地は野山に飲み込まれ、唯一の小学校は十年前に廃校。このまま静かに土に還るのを待つだけだと思っていた村に、突如として「輝かしい未来」という名の異物が投げ込まれたのだから。甘利は熱っぽく語った。
「皆様、何も変える必要はありません。ただ、皆様の『日常』を、都会の人々が憧れる『商品』へと昇華させるだけでいいのです。地方創生とは、素晴らしいことだと思いませんか?」
老人たちは、魔法にかけられたように頷いた。彼らが手にするはずの「日常」が、どのような形に変質していくのか、その時は誰も想像だにしていなかった。
第二章:配役された「伝統」と、配給された「方言」
三ヶ月後、上霞村は巨大な撮影セットへと変貌していた。甘利の指示により、村の家々のアルミサッシは全て取り外され、趣のある(しかし気密性の低い)木製の建具へと交換された。電柱は地中化され、代わりにおあつらえ向きのガス灯風の街灯が設置された。それらは全て「古き良き日本」を演出するための小道具だった。
しかし、最も劇的に変化したのは、物理的な風景ではなく住民そのものだった。甘利は全ての住民に、分厚い「役割遂行マニュアル」を配布した。そこには、一人一人の「配役」と、それにふさわしい「演出」が細かく記載されていた。村の長老である三郎は、「頑固だが慈愛に満ちた、村の語り部」という役を与えられた。マニュアルにはこうある。
『三郎氏は、観光客が通りかかる際、必ず縁側で茶を啜り、遠くの山を見つめること。客と目が合ったら、標準語を交えず、事前に配布した「伝統的方言リスト」にある言葉で挨拶をすること。特に「おまえはん、どこから来なすった!」というフレーズは必須。冬場でも、演出上、厚手の半纏(はんてん)を着用すること。』
康太に与えられた役は、「都会から戻り、土に生きることを決意した、情熱的な農業青年」だった。
「康太さん、その最新のスポーツウェアは禁止です。今日からはこの、泥のついた作務衣(さむえ)を着てください。スマホも、観光客の前では出さないで。不自然ですから!」
甘利の部下である若い女性スタッフが、無表情に康太に指示を出す。
「伝統」は守るものではなく、演じるものになったのだ。康太たちは、自分たちが代々住んできた家で、自分たちではない何者かを二十四時間演じることを強いられた。それが、多額の協力金という名の中毒性の高い報酬を受け取るための、唯一の条件だった。
第三章:楽園の開門、あるいは侵略の始まり
グランドオープンの日、村の入口には、これまで見たこともないような長い車の列ができた。SNSで「奇跡の原風景」として拡散された上霞村には、洗練されたアウトドアウェアに身を包んだ都会の若者や、高価なカメラを抱えた家族連れが押し寄せた。
彼らは村の小川を見て「信じられないくらい綺麗!」と歓喜し、縁側で演技を続ける三郎を見て「本物の老人がいる!」とスマホのシャッターを切った。
康太は、マニュアル通りにクワを担ぎ、不自然なほど晴れやかな笑顔で「こんにちは! 良い天気ですな!」と観光客に声をかけた。観光客の一人が、康太に尋ねた。
「ここで暮らすのって、やっぱりストレスフリーなんですか? 都会の喧騒を忘れて、自分を取り戻せるというか…」
康太は、背中のインカムから聞こえるスタッフの「台本通りに!」という鋭い指示を受け、完璧な笑顔で答えた。
「ええ、ここには『本当の時間』が流れていますから。自然と一体になれる、それは素晴らしい場所ですよ!」
その日の夜、観光客が帰り静まり返った村で、康太は泥だらけの作務衣を脱ぎ捨てた。鏡に映る自分は、疲弊しきっていた。そして村の経済は潤っていた。村の預金通帳には、かつての農作物の売り上げとは比較にならないほどの桁が並んでいる。しかし、村のどこにも、かつての「自由」な空気はなかった。小川のせせらぎさえ、観光客の満足度を高めるために流量が電子制御されている。地方創生とは、自分たちの魂を切り売りして、見知らぬ誰かの幻想を満たす行為なのだろうか…
第四章:コンプライアンスという名の「検閲」
プロジェクトが始まって半年が過ぎる頃、村には「クオリティ維持チーム」と呼ばれる、甘利の会社の監査員が常駐するようになった。彼らの仕事は、住民が「キャラクター」から外れた行動をとっていないか、厳格に監視することだった。ある日、三郎が自分の家の裏でこっそりカップラーメンを食べているのが、監視カメラによって発覚した。
「三郎さん、これは重大な契約違反ですよ!」
甘利は、公民館に三郎を呼び出し、冷徹に告げた。
「観光客が万が一これを見たら、どう思うでしょうか? 『古き良き日本の語り部』が、大手メーカーの即席麺を啜っている。そんな幻滅を、我々は許さない。今後、三郎さんの協力金は三割カットします。食事はすべて、村のセントラルキッチンで作られた『伝統的な一汁三菜』の配給のみを口にしてください!」
三郎は力なく項垂れた。彼が食べたかったのは、伝統などという重苦しい看板のない、ただのジャンクな味だった。しかし、今の彼には反論する力も、村を出ていく術もなかった。村の周囲の土地は、すでに甘利の関連会社によって買い占められ、高い柵で囲われていたからだ。健太もまた、監視の対象だった。
彼はある夜、深夜にこっそりと自宅のWi-Fiを使い、オンラインゲームに没頭していた。それが彼にとって、唯一の「現実」からの逃避だった。しかし、翌朝、スタッフから「深夜のデータ通信量が異常です。夜は九時に就寝し、朝は鶏の鳴き声とともに起きるのが、あなたの役作りの基本でしょう!」と叱責された。
村全体が、一つの巨大な劇場であり、監獄でもあった。地方創生という名の素晴らしい事業は、住民から「不健康である自由」や「文明を享受する権利」さえも奪い去っていた。
第五章:ひび割れた仮面、噴出する狂気
やがて、極限まで抑圧された住民たちの精神に、ひびが入り始めた。村で最も温厚だったはずの老婆、ヨシが、観光客に向かって「金を出せ、金さえ出せば何でも見せてやる!」と叫びながら、偽物の囲炉裏に灯油をまこうとする事件が起きた。甘利のチームは迅速だった。ヨシはすぐさま「体調不良」として村の外にある関連施設へ移送され、翌日には、ヨシにそっくりな体格の「代役の老婆」が同じ場所に座っていた。
「……あいつら、俺たちを人間だと思ってない…」
康太は、夜の闇に紛れて、三郎の家の縁側に忍び寄った。三郎はマニュアルを無視し、虚空を睨みつけていた。
「三郎さん、逃げよう。こんなの、おかしいよ。創生なんて、ただの言い訳だ。あいつらは、この村を剥製(はくせい)にして、金を生み出す装置に変えただけなんだ!」
三郎は、ゆっくりと康太の方を向いた。その瞳には、もはや理性という光は残っていなかった。
「逃げる? どこへだ。康太、外の世界も同じだぞ。どこに行っても、誰かが決めた役割を演じさせられる。ここでは、飯を食わせてもらえるだけマシだ。ほら、見ろ。通帳の数字だ。これが俺たちの『価値』なんだよ…」
三郎は、汚れた手で通帳を愛おしそうに撫でた。その光景は、どんなホラー映画よりも康太を戦慄させた。甘利が持ち込んだ「素晴らしい地方創生」は、住民たちから「貧しくても自分らしくあること」への矜持を奪い、代わりに「裕福な奴隷」であることへの依存を植え付けていた。康太は、自分が担いでいるクワが、あまりに重く感じられた。
第六章:黄金の檻に沈む夕陽
秋になり、村は一年で最も美しい季節を迎えた。紅葉に彩られた山々と、黄金色の稲穂。それらはすべて、肥料の配合と日照時間の管理によって、最も「写真映え」するタイミングで調整されていた。観光客の数はピークに達し、甘利の会社は過去最高の収益を記録した。
「地方創生は、素晴らしい!そう思いませんか、康太さん!」
展望台で、甘利が康太の隣に立ち、満足げに村を見下ろした。
「見てください!誰一人として餓死せず、村は潤い、伝統は(形を変えて)後世に残る。これこそが持続可能な地方の姿です。あ、そうそう。来月からは、あなたの役に『不治の病に侵されているが、健気に土を耕す青年』という設定を加えます。その方が、冬の観光客の同情を誘い、寄付金が増えますからね!」
健太は、握りしめた拳が白くなるのを感じた。
「俺たちは、あなたのペットじゃない…」
「ペット? 心外ですね。ビジネスパートナーですよ。あなたは最高の役者だ。だからこそ、報酬も高い。……もし、この生活が嫌なら、いつでも辞めていいんですよ。ただし、これまで支払った協力金と、村のインフラ整備費、数億円を全額返済していただければの話ですが…」
甘利は、蛇のような冷ややかな笑みを浮かべ、康太の肩を叩いた。
「あなた方はもう、この檻から出ることはできない。なぜなら、あなた方自身が、この便利で裕福な檻の味を覚えてしまったからだ…」
康太は、村の広場を見下ろした。そこでは、代役の老婆が完璧な「田舎の婆ちゃん」を演じ、観光客に作り笑いを振りまいている。かつてここにあった、泥臭くも愛おしい、本当の苦労や喜びが混じった生活は、どこにもなかった。あるのは、完璧に管理された、死んだような美しさだけだった。
第七章:地方創生は素晴らしいことだ?!
数年後、上霞村は「地方創生の奇跡」として、全国の教科書に載るまでになった。甘利は、その功績を認められ、政府の顧問として別の「死にゆく村」へと旅立っていった。銀色のセダンが村を去る時、彼は一度も後ろを振り返らなかった。彼にとって上霞村は、すでに完成され、メンテナンスを続けるだけの「製品」に過ぎなかったからだ。
村に残された健太は、今日も泥のついた作務衣を着て、縁側に座っている。彼の足元には、最新型のタブレットが隠されているが、それを開く気力はもうない。彼の役職は今や「村長代理兼、伝説を継承する守り人」となっていた。
三郎は一年前に死んだが、葬儀は行われなかった。「不老長寿の里」というイメージを壊さないために、彼は静かに村の外の病院へ運ばれ、公式記録上は「今も元気に、奥山の奥深くで仙人のように暮らしている」ことになった。
「パパ、あの人、どうしてずっと動かないの?」
通りかかった小さな子供が、康太を指差した。
「しっ、失礼でしょ。あの方は、この村の魂を守っている偉い人なんだよ。さあ、写真を撮って。ほら、笑って!」
康太は、子供とカメラの方を向き、口角を完璧な角度で釣り上げた。彼の脳裏には、甘利が最初に言った言葉が、壊れたレコードのようにリピートされ続けていた。
『地方創生とは、素晴らしいことだと思いませんか?』
康太は、その問いに心の中で答える。
「ああ、素晴らしい。本当に、素晴らしいとも。俺たちは、死ぬことさえ許されない、永遠の命を手に入れたんだから…」
村の入口には、今日も新しい観光バスが到着する。
そこに乗っている人々は、自分たちが踏みしめている大地が、どれほど多くの「生きた人間の記憶」を押し潰して作られた、豪華な墓標であるかを知る由もない。上霞村は、今日も完璧に「美しい」姿で、世界に向けてその虚像を晒し続けている。
地方創生は、素晴らしいことだ…
その言葉の影で、誰一人として本当の声を上げないまま、村は静かに、黄金の輝きを放ちながら死に絶えていった…