第一章:トラックの衝撃と、動かないステータス
その日、茂木勉(もぎ・つとむ、五十二歳)は、人生で最も「どうでもいい」瞬間を迎えていた。コンビニの帰り道、手には半額シールの貼られたツナマヨおにぎり。昨夜から何も食べていなかった彼の胃袋は、その塊を待ちわびていた。しかし、横断歩道の真ん中で、信号無視の大型トラックが突っ込んできた時、彼の脳裏に浮かんだのは「あ、おにぎり潰れるな…」という、懸念だけだった。
衝撃!!視界が消えて、浮遊感が体を包んだ。次に目を開けた時、茂木は見たこともない真っ白な空間に立っていた。目の前には、黄金の鎧に身を包んだ絶世の美女が、困惑した表情で、フワフワと浮いている。
「迷える魂よ、ようこそ。私は女神リリア。貴方は、今、不運な事故で命を落としました。しかし、貴方には異世界で勇者として転生する権利があります…」
女神の声は鈴を転がすように美しかったが、茂木は鼻をほじりながら答えた。
「転生とかいいんで、あのおにぎり、弁償してもらえます?」
「お、おにぎりですって……? 貴方、これから新しい人生が始まるのですよ? 剣と魔法の世界で、魔王を倒し、富と名声を手に入れるのです!」
「面倒くさいなあ。働きたくないから、ずっと無職やってるのに。働けってこと?」
女神は絶句した。しかし、彼女にはノルマがあった。最近、地球からの転生者が不足しており、この冴えないおじさんでも送り込まなければならない事情があった。
「わかりました。では、貴方には特別なギフトを与えます。貴方の性質に基づいた、唯一無二の職業とスキルです。さあ、転生の門へ!」
女神が杖を振ると、茂木の足元に魔法陣が現れた。
「あ、待って。おにぎり……」
茂木の叫びも虚しく、彼は光の渦に飲み込まれた。気がつくと、茂木は草原の真ん中に倒れていた。空には二つの月があり、遠くには巨大な竜が飛んでいる。典型的なファンタジー世界。
「うわっ、本当に来ちゃったよ。おにぎり、結局食べられなかったな…」
茂木が立ち上がり、自分の姿を確認すると、服装は元のボロボロのジャージのままだった。そして、目の前に半透明のパネルが現れた。
【氏名:茂木勉】
【職業:無職(無敵の人)】
【レベル:1】
【スキル:物理無効・魔法無効・状態異常無効・精神汚染無効】
【攻撃力:0】
【魔力:0】
【説明:失うものが何もない者に与えられた究極の防御職。あらゆる干渉を受け付けないが、自分から世界に影響を与えることもできない。ただそこに存在するだけの概念。】
「無職(無敵の人)って……。異世界に来てまでこれかよ…」
茂木はため息をついた。攻撃力がゼロということは、スライム一匹倒せないということ。つまり、経験値も稼げないし、お金も手に入らない。
「結局、ここで寝てるしかないってことだな!」
彼は迷わず、ふかふかの草原に寝転んだ。空が青い。とても青い。そして、風が心地いい。
「よし、俺の第二の無職生活の始まりだ!」
茂木は目を閉じ、深い眠りに落ちようとした。しかし、その平和はすぐに破られることになった。
第二章:魔王軍の猛攻と、微動だにしない背中
「おい、起きろ! こんなところで何をしている!」
突然、荒々しい声に起こされ、茂木が目を開けると、そこには銀色の鎧を着た騎士の一団がいた。彼らは血の気が引いた顔で、背後の森を指差している。
「逃げろ! 魔王軍の先遣隊がすぐそこまで来ている! ここは戦場になるぞ!」
「ああ、そう。お疲れ様ですね…」
茂木はあくびをしながら、寝返りを打った。
「ふざけるな! 死ぬぞ!」
騎士が茂木の腕を掴んで引きずろうとした。しかし、その瞬間、騎士の顔が驚愕に染まった。
「な、なんと……!? 動かない。ビクともしないぞ!」
茂木のスキル『物理無効』は、単にダメージを受けないだけではない。彼の存在そのものが「動かしがたい不動の概念」と化していた。十人の騎士が総がかりで茂木を持ち上げようとしたが、彼は地球の核に固定されているかのように、一ミリも動かなかった。
「バケモノか……!? いや、もしかして伝説の『不動の聖者』様では!?」
騎士たちが勝手に感動し始めたその時、森の木々をなぎ倒して、巨大な魔獣オーガの群れが現れた。
「来たぞ! 魔王軍だ!」
騎士たちは剣を抜き、陣を組んだ。しかし、オーガの数は圧倒的だった。先頭のオーガが、丸太のような棍棒を振り下ろす。狙われたのは、まだ地面で寝転んでいる茂木だった。
ドゴォォォォン!
激しい土煙が舞い上がり、地面が大きく陥没した。騎士たちは絶叫した。
「ああ! 聖者様が!」
しかし、煙が晴れると、そこには驚くべき光景があった。茂木は、オーガの棍棒の下で、変わらず横向きに寝ていた。ダメージはおろか、ジャージに埃一つついていない。オーガは首を傾げ、もう一度、全力で棍棒を叩きつけた。
ドカッ!
今度は、オーガの棍棒の方が粉々に砕け散った。茂木の『物理無効』が、衝撃をそのまま反射したのだ。
「痛くも痒くもないなあ。ちょっと、静かにしてくれませんかね!」
茂木がようやく起き上がり、オーガを見上げた。オーガは恐怖に目を見開いた。自分の渾身の一撃を無視して、死んだ魚のような目で睨んでくる人間。これこそ、魔王軍が最も恐れる「計り知れない強者」の姿に見えた。
「グォォ……!?」
「あ、ちょうどいいところに。お兄さん、マッチとか持ってない? さっき落ちてた枯れ葉で焚き火したいんだけど!」
茂木がオーガの足元に歩み寄った。オーガは悲鳴を上げ、全力で逃げ出した。指揮官を失ったオーガの群れも、パニックを起こして森の奥へと敗走していく。
「勝った……。戦わずして魔王軍を退けたぞ!」
騎士たちは歓喜の声を上げ、茂木の周りに跪いた。
「聖者様! 貴方こそ、この国を救う希望の光です! ぜひ、王都へお越しください!」
「いや、歩くの面倒だし…」
「ぜひ! 豪華な食事と、ふかふかのベッドを用意いたします!」
「食事? ツナマヨおにぎりある?」
「お、おにぎり……? まったく存じ上げませんが、最高の料理人を手配します!」
茂木は考えた。王都に行けば、働かずに飯が食えるかもしれないと。それは無職にとっての理想郷。
「よし、行くか。ただし、俺は歩かないからな。誰か俺を運んでくれ!」
騎士たちは総出で、茂木を乗せるための特大の神輿を突貫工事で作らされることになった。
第三章:王都の狂騒と、働かない救世主
王都へ到着した茂木は、盛大なパレードで迎えられた。
「彼こそが、魔王軍を一瞥で退けたという不動の英雄か!」
「見て、あの虚無を湛えた瞳……! 世俗の欲をすべて捨て去った高潔なお姿だわ!」
市民たちの勝手な解釈が広がる中、茂木は神輿の上で、取れたての鼻クソを丸めて飛ばしていた。彼にとって、この大騒ぎは単なる雑音でしかなかった。
国王は茂木を最高級の賓客として迎え、豪華な晩餐会を開いた。
「聖者よ、我が国を救ってくれたことに感謝する。望むものを言ってみよ!」
「えーと、まず、このパーティー長すぎるんで終わらせてください。あと、寝室に漫画とかありますかね?」
「ま、まんが……? 古文書のことか? もちろん用意させよう!」
茂木は出された最高級の肉料理を頬張ったが、顔をしかめた。
「うーん、味が上品すぎるな。もっとこう、ジャンクな感じがいいんだよな。マヨネーズとかないの?」
「まよねえず……?」
国王も家臣たちも困惑したが、「聖者の言葉には深い意味がある」と深読みし、国中の錬金術師に「マヨネーズ」なる未知の調合品を開発するよう厳命が下った。茂木は王城の一室を与えられ、夢のニート生活を開始した。朝は昼過ぎに起き、豪華な食事を「マヨネーズ(に似た何か)」でベタベタにして食べ、午後は庭園で昼寝をする。
「聖者様、本日の公務ですが……」
「ないよ、そんなの!」
「はぁ?いやしかし、隣国の王女様がぜひお会いしたいと……」
「女とか興味ないし。それより、この枕、もうちょっと低くして!」
茂木の徹底した「非協力」は、周囲には「一切の権力に屈しない強靭な精神」と映った。しかし、平和な時間は長くは続かなかった。魔王軍が、茂木という脅威を排除するために、四天王の一人「冷酷なる魔術師、ゼノン」を送り込んできたのだ。ある夜、王城の結界を破り、ゼノンが茂木の寝室に侵入した。
「ククク……。お前が噂の不動の聖者か。無防備に眠っているとは、舐められたものだ…」
ゼノンは最高位の破壊魔法『獄炎の審判』を唱えた。部屋全体が太陽のような熱量に包まれ、石造りの壁がドロドロに溶け出した。
が、しかし!
茂木は寝間着姿のまま、グーグーと高いイビキをかいていた。『魔法無効』スキルの前では、地獄の業火もただの「ちょうどいい暖房」でしかなかった。
「な、なんと……!? 私の最大魔法を、眠りながら無効化したというのか!? バカな、どんな魔力耐性を持っていれば……!」
ゼノンは驚愕し、次々と呪い、氷結、真空、精神崩壊の魔法を叩きつけた。しかし、茂木のイビキのリズムは一ミリも乱れない。
「お、おい……。起きろ! 戦え! 私と戦うんだ!私を無視するな!」
ゼノンはついに茂木の枕元に駆け寄り、彼の肩を揺さぶった。
「……んあ? 誰? 泥棒?」
茂木が半分だけ目を開けた。
「私は魔王軍四天王、ゼノンだ! 貴様を殺しに来た!」
「四天王……? ああ、なんか強そうな名前だね。でも今、眠いから。明日十時くらいに出直してきて…」
「ふざけんな! 今すぐ死ね!」
ゼノンが茂木の首を絞めようとした。しかし、茂木の首はダイヤモンドよりも硬く、逆にゼノンの指の骨がメキメキと音を立てて折れた。
「アァァァァ! 私の指が!」
「あんた、うるさいなあ。ほら、これあげるから帰って!」
茂木は枕元に置いてあった「食べかけの干し肉」をゼノンの口の中に押し込んだ。
「モグ……。な、なんだこれは……。なんて野性的で、暴力的な旨味だ……。これが、聖者の与える慈悲の糧なのか……!」
ゼノンは涙を流して崩れ落ちた。自分を歯牙にもかけず、未知の食文化で圧倒する聖者の器。
「私は……負けた。貴方の足元にも及ばない……!」
ゼノンはその夜、魔王軍をそそくさと脱退し、王都の裏通りで「干し肉専門店」を開業することを決意した。茂木のニート生活は、期せずして魔王軍の戦力を削ぎ続けていた。
第四章:勇者パーティーの勧誘と、絶対拒否の精神
ゼノンの敗退は、魔王軍に激震を走らせた。同時に、人間側では茂木を「伝説の勇者」として魔王城に送り込もうという機運が高まっていた。
「聖者様、真の勇者パーティーが結成されました! 貴方をリーダーとして迎えたいのです!」
国王が連れてきたのは、王国一の剣士、魔導士、そして美しき聖女の三人だった。彼らは皆、茂木を尊敬の眼差しで見つめている。
「茂木様、貴方の盾があれば、魔王の攻撃すら防げるでしょう。世界に平和を取り戻すため、共に行きましょう!」
聖女が手を取り、熱心に訴えかけた。
「いや、無理。絶対無理!」
茂木は即答した。
「なぜですか!? 貴方の力があれば、救える命が山ほどあるのですよ!」
「あのさ、魔王城って遠いんじゃない? 何日歩くのさ。野宿とか無理だから。風呂ないし。Wi-Fi飛んでないし!」
「わいふぁい……? とにかく、移動は馬車を用意します!」
「馬車って揺れるじゃん。酔うんだよね。あと、魔王と戦うとか危ないじゃん。俺、攻撃力ゼロなんだよ? 一発も殴れないよ?」
「貴方は立っているだけでいいのです! 我々が敵を殲滅します!」
押し問答の末、茂木は国王から「もし断るなら、この豪華な生活を即刻打ち切り、元の草原に放り出す」という最後通告を突きつけられた。
「……ちっ。これだから公務員は。わかったよ、行けばいいんだろ、行・け・ば」
こうして、史上最もやる気のない勇者パーティーが結成された。旅の道中、一行は何度も魔物の襲撃を受けた。
「茂木様! 前方から翼の生えたドラゴンが!」
「ああ、そう。俺、今これ読んでるから…」
茂木は、王宮の書庫から持ってきた「エロい挿絵付きの古文書」を読みふけっている。ドラゴンが灼熱のブレスを吐く。パーティーの仲間たちは必死に防御魔法を展開するが、全然間に合わない。
「ぐわぁぁ!」
直撃を受けた茂木は……煙の中から、本を片手に無傷で現れた。
「ちょっと、ページが捲れちゃったじゃないか。風圧考えてよ!」
茂木がトボトボとドラゴンの前まで歩いていく。ドラゴンは恐怖を感じ、後ずさりした。茂木はそのままドラゴンの足元に座り込み、本の続きを読み始めた。ドラゴンは、自分の最強の攻撃を無視して読書を続ける人間に、精神を完全に破壊されてしまった。
「グ、ゲコ……(俺の存在って何なんだ……?)」
ドラゴンは失意のまま空へ飛び去り、二度と人里に現れることはなかった。
「さすが茂木様! 一切の殺気を出さずに敵を心折るとは!」
仲間たちは勘違いをさらに深めていった。しかし、茂木の内心はこうだった。
(早く魔王倒して帰りたい。冷房の効いた部屋で寝たい。っていうか、そろそろマヨネーズ切れそうなんだけど…)
彼は、魔王を倒せば「永遠の無職生活」が保障されるという国王の約束だけを糧に、重い腰を(実際には馬車に乗っているだけだが)動かし続けた。ついに一行は、禍々しい雲に覆われた魔王城の城門に到着した。そこに門番の巨大なゴーレムが立ち塞がる。
「侵入者よ、ここを通るには……」
「邪魔。どいて!」
茂木はゴーレムに肩をぶつけるようにして歩き出した。
ドゴォォン!
衝撃を受けたのはゴーレムの方だった。茂木の『物理無効』は、歩く際の「慣性」すらも絶対的な力に変換する。茂木が普通に歩いているだけで、巨大なゴーレムは紙屑のように吹き飛び、城門は木っ端微塵に粉砕された。
「……あれ? なんか壊れちゃった。弁償しろって言われたら、王様のせいにして逃げよう…」
茂木は無表情のまま、魔王の玉座へと続く階段を登り始めた。
第五章:魔王の絶望と、最高のツナマヨ
魔王城の最深部。玉座には、黒いマントを羽織った魔王が傲然と座っていた。
「よく来た、勇者一行よ。我が四天王を破り、ここまで辿り着いた勇気に免じて、一つだけ……」
「長い!」
茂木は魔王の口上を遮った。
「は……?」
「お前の話、長いよ。どいつもこいつも、喋りすぎるなあ。いいから、サクッと終わらせよう。俺、帰って昼寝したいんだわ!」
茂木はズカズカと歩み寄り、魔王の目の前で立ち止まった。仲間たちは背後で「し、茂木様! まだ聖なる加護の呪文が!」と叫んでいるが、茂木は無視した。
「貴様……。この私を愚弄するか! 死を以て償え!」
魔王が玉座から立ち上がり、終焉の魔法『カオス・エンド』を放った。世界が崩壊するほどの闇の力が茂木を包み込む。
だが…茂木は鼻をほじりながら、闇の中であくびをしていた。
「あー、それ、ちょっと肩に当たる感じが気持ちいいね。もう少し左の方もお願いできる?」
「な、ななな……何だとぉ!? 全宇宙を滅ぼす闇が、マッサージ代わりだと!?」
魔王は狂ったように連撃を繰り出した。斬撃、爆破、次元の裂け目。しかし、茂木のジャズのリズムのようなイビキが、静かな玉座の間に響き始める。
「……眠っちゃった……!? この私の目の前で、寝ているのか!?」
魔王はこれまでの人生で味わったことのない屈辱と、底知れない恐怖に震え出した。
「こ、こいつは人間ではない……。意志そのものが、この世界の法則を拒絶している……! 戦うこと自体が、無意味だとでもいうのか……!」
魔王は剣を落とした。
「私は……何のために世界を支配しようとしていたのだ。こんな、たった一人の『無職』にすら干渉できないというのに……」
魔王は玉座を降り、膝を突いた。
「負けだ……。我が魔王軍は今日にて解散する。好きなようにするがいい…」
「……ん? 終わった?」
茂木が目をこすりながら起き上がった。
「ああ。お前、降参するのね。じゃあ、これ約束な。二度と人間に手を出さないこと。あと、美味しいもの用意しろ!」
「ははっ……。仰せのままに、聖者様!」
数日後。王都に戻った茂木は、国民から「神」として崇められていた。国王は約束通り、茂木に生涯の不労所得と、王宮の一翼を自由に使う権利を与えた。そして、茂木にとって最大の報酬が届けられた。国中の錬金術師と料理人が、茂木の曖昧な記憶を頼りに再現した、究極の逸品。
「茂木様、これが……『ツナマヨおにぎり』でございます!」
差し出されたのは、最高級の米と、未知の深海魚の身を特製マヨネーズで和えた、宝石のようなおにぎりだった。茂木はそれを一口食べた。
「うまい……これだよ。これ。これのために、俺は世界を救ったんだ!」
その後、茂木は「何もしない英雄」として、悠々自適の生活を送ったそうだ。たまに隣国が攻めてきても、茂木が国境で「ただ寝ている」だけで、敵軍は「あの不動の死神がいる!」と恐れおののき、戦わずに撤退したという。魔王は、茂木に教わった「ニートの極意」に感銘を受け、魔界で「全自動・何もしない帝国」を築き、人間界との平和共存を果たした。女神リリアは、天界からその様子を見て、溜め息をついた。
「あのおじさん、本当に何もしてないのに……。まあ、世界が平和になったから、結果オーライってとこかしら…」