SCENE

誰かの朝、誰かの夜。 すれ違う時間の中に、物語はひっそりと立ち上がる。 喜びや痛みが言葉になる前の、かすかな瞬間をすくい取るように。 これは、世界のどこかで息づく人々の、小さな「場面(シーン)」の記録です。by-魚住 陸 Riku Uozumi

SCENE#174  死んでしまえば、みんないい人?! Everyone Becomes a Saint When Dead

第一章:死という名の「究極の洗濯機」

 

 

 

 


佐藤健二の事務所の看板には、控えめに「文章代行・法要支援」と書かれている。しかし、業界での裏の通り名は『漂白屋』だ。

 

 

 

 


「死という現象はね、どんなに汚れた人生も真っ白に洗い上げる、世界で最も強力な全自動洗濯機なんだよ!」

 

 

 

 


健二は、安物のバーボンを啜りながら、遺影の中の見知らぬ老人に微笑みかけた。彼が請け負うのは、まともな人間なら二の足を踏むような「クズ」の弔辞だ。生前、部下をパワハラで追い込み、家族を捨て、脱税を芸術の域まで高めたような男たち。そんな彼らが冷たくなった途端、遺族は「世間に恥ずかしくない物語」を欲しがるのだ。

 

 

 

 


「人々は真実なんて求めちゃいない。葬儀という名の『集団催眠』を成功させるための、心地よいBGMが欲しいだけさ。俺はそれを、ペン一本で提供しているんだから…」

 

 

 

 


健二の仕事は、ゴミ溜めの中から宝石を探すことではない。ゴミを宝石だと人々に信じ込ませる、言語の詐欺師。それが彼の誇りでもあった。

 

 

 

 

 

 

 


第二章:地獄の底から届いた「逸材」

 

 

 

 


ある日の午後、事務所のドアを叩いたのは、見るからに神経症気味な中年男、善一だった。彼は震える手で、父・善次郎の写真をデスクに置いた。

 

 

 

 


「父が死にました。街一番の嫌われ者、通称『毒ヘビの善次郎』です。健二さん、こいつを……この怪物を、どうか『立派な仏様』に仕立て上げてください!!」

 

 

 


善次郎の悪行は、もはや伝説の域に達していた。高利貸しとして、未亡人のなけなしの金を奪い取り、趣味は「他人の葬式に出向いて、香典をケチった親族を大声で嘲笑うこと」。死の間際、枕元に集まった子供たちに放った言葉は「お前らの顔、反吐が出るぜ。相続税を最大化させてから死んでやる…」だったという。

 

 

 

 


「健二さん、葬儀には父に恨みを持つ人間が100人は来ると思います。そいつらを納得させ、涙を流させ、父を『不器用な愛の人』に塗り替えてください。報酬は弾みますから!」

 

 

 

 


健二は不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「地獄の沙汰も金次第、と言いますがね。地獄の住人を天国へ送り込むのも、言葉の魔法次第です!」

 

 

 

 

 

 


第三章:悪行の「魔改造」と、詭弁の錬金術

 

 

 

 


健二は、善次郎の生前のエピソードを集め始めたが、出てくるのは、どれもこれも吐き気を催すようなクズ話のオンパレードだった。

 

 

 

 


「野良犬を見つけるたびに、全力で石を投げていた!」

 

 


「近所の子供が泣きながら探していた100円玉を、見つけるなり自分の靴で踏んで隠し、子供が去るまで3時間立ち尽くしていた!」

 

 


「妻の葬儀の最中、遺影の裏に隠してあった金庫の番号を思い出してガッツポーズをした!」

 

 

 

 


普通のライターなら匙を投げるが、健二のペンは止まらない。彼はこれらの悪行を、独自の「善意変換フィルター」に通していく。

 

 

 

 


 * 野良犬への石投げ → 『自然界の厳しさを、身をもって野生に説き続けたストイックな自然保護官的側面』。

 


 * 100円玉の隠匿 → 『幼い魂に、金という魔物の恐ろしさと、喪失から立ち上がる強さを教えようとした、教育的配慮による無言の授業』。

 

 


 * 葬儀中のガッツポーズ → 『最愛の妻が残した“最後の暗号”を解き明かし、悲しみのどん底で彼女との絆を再確認した、魂の歓喜』。

 

 

 

 


   「いいかい、善一さん。事実は一つだが、解釈は無限にあるんだ。俺はその中で、一番『香典が高くなりそうな解釈』を選ぶだけだよ…」

 

 

 

 

 

 

 


第四章:嘘という名の「感動の免罪符」

 

 

 

 


執筆は、もはや捏造という名の芸術へと昇華した。健二は、善次郎が「実は匿名で、身寄りのない子供たちのために毎月多額の寄付をしていた」という、真っ赤な嘘を弔辞の核に据えた。

 

 

 

 


「弔辞に真実なんて必要ないんだ。必要なのは、参列者が『ああ、私が彼を嫌っていたのは、彼の深すぎる愛を理解できなかった、私の心が狭かったせいなんだ…』という免罪符だ。人は、他人を恨み続けるより、自分が間違っていたと思って泣く方が、ずっと気持ちいいんだよ!」

 

 

 

 


健二は、架空の孤児院の名前をでっち上げ、そこからの感謝の手紙まで偽造した。手紙にはこうある。

 

 

 

 


『善次郎様、あなた様がくださるご寄付のおかげで、子供たちは今日も温かいスープが飲めます。あなたは、世界一不器用で、世界一心優しいサンタクロースです!!』

 

 

 

 


これを読んだ善一は、自分の父親が聖人であるという錯覚に陥り、あろうことか本気で号泣し始めた。健二は冷めた目でそれを見ていた。

 

 

 

 

 

「フッ、フッ…完璧だ。クライアントが騙されれば、あとは集団催眠にかけるだけだ…」

 

 

 

 

 

 


第五章:葬儀当日の「静かなる戦場」

 

 

 

 


葬儀当日、会場にはかつてない緊張感が漂っていた。参列者の顔ぶれは、まるで復讐劇の冒頭シーンのようだった。

 

 

 


「本当にくたばったか!遺体の顔を拝みに来た!」という被害者たち。「地獄へ落ちる瞬間をこの目で見届けてやるんだ!」という元部下たち。彼らの目は皆、怒りと憎悪が燃えたぎり、祭壇に供えられた豪華な花たちですら、善次郎が、生前、奪った金で買ったのだと思うと、会場の空気は氷点下まで冷え込んだ。

 

 

 

 


いよいよ弔辞の出番がやってきた。善一が、健二の書いた原稿を手に祭壇の前に立った。健二は最後列で、その光景をニヤリと眺めた。

 

 

 

 

 


「さあ、ショーの始まりだ。クズが仏に変わる、最高の化学反応を見せてやろう…」

 

 

 

 


静寂の中、善一が震える声で読み始めた。

 

 

 

 


「父は……毒ヘビと呼ばれました。しかし、その毒は、私たちがこの腐敗した社会で生き抜くための、ワクチンだったのです……」

 

 

 

 


会場に、鼻で笑うような乾いた音が響いた。しかし、健二の計算はここからだった。

 

 

 

 

 

 


第六章:集団催眠、あるいは壮大な喜劇

 

 

 

 


健二の言葉は、緻密に計算された心理兵器だった。

 

 

 

 


「父の書斎から、一通の手紙が見つかりました。匿名で寄付を続けていた孤児院からのものです。そこには……『誰からも嫌われる役を引き受けることで、人々に正しく生きることを説いた』父の苦悩が綴られていました…」

 

 

 

 


捏造されたエピソードが、美しいレトリックで編み込まれ、会場に響き渡る。すると、突然不思議な現象が起きた。

 

 

 

 


「あの100円玉の事件も……もしや、私に社会の厳しさを教えるためだったのか……?」

 

 

 


かつての被害者の老人が、ポツリと呟いた。一度、誰かが「いい人」だと言い始め、しかもそれが感動的なストーリーに包まれていれば、人々は自らの記憶さえも書き換えてしまう。

 

 

 

 


「ああ、善さん……あんなに深い考えがあったなんて……。私、あんたを恨んでいた自分が情けないよ!」

 

 

 

 


最初に泣き出したのは、善次郎に家を差し押さえられたはずの男だった。その涙は、堰を切ったように会場全体に感染していった。嗚咽と鼻をすする音が、お経よりも大きく鳴り響いている。健二はそれを見て、腹の中で大笑いした。

 

 

 

 


「死んでしまえば、みんないい人。だって、そうしておかないと、生きてる人間が後味悪いじゃねぇか。人は死者に勝てないんじゃない。自分の『良心の呵責』という名の嘘に勝てないだけだ…」

 

 

 

 

 

 


第七章:地獄の底からのアンコール

 

 

 

 


葬儀は「歴史に残る感動の式」として幕を閉じ、善一は「聖人の息子」として誇らしげに弔問客を見送った。健二は多額の報酬を懐に入れ、夕暮れの街を口笛を吹きながら事務所へ戻った。すると事務所のデスクに、一通の古い封筒が置かれていた。差出人の名前を見て、健二の顔から血の気が引いた。

 

 

 

 


『佐藤健二殿。死後の世界より愛を込めて。 ―― 山崎善次郎』

 

 

 

 

 

「ハッ…どういうことだよ…」

 

 

 

 


手が震えた。恐る恐る中身を開けると、そこには殴り書きの便箋が入っていた。

 

 

 

 

 


『代筆屋の小僧へ。ワシが死んだら、きっと息子がお前に頼みに行くと思って、事前にこれを書いた。
お前なら、ワシをどんな聖人君子に仕立て上げるか、あの世から見させてもらったぞ。……ひどいな。あんな嘘、ワシでも吐けんわ。特に寄付のくだり、あんな孤児院は実在せん。
……と言いたいところだが、お前のあまりのデタラメぶりが面白かったので、今、ワシの遺産を整理していた弁護士に連絡した。お前の捏造した「名前」と同じ名前の孤児院を今すぐ設立し、ワシの全財産を寄付するように書き換えた。
これで、お前の嘘は「真実」になったわけだ。せいぜい、ワシが本当に聖人だったという事実に、一生苦しめ。

 

 

―― 毒ヘビより。追伸:香典、ボッタくれたか?」

 

 

 

 

 


健二は椅子から崩れ落ちた。

 

 

 

 


自分の完璧な虚飾が、死んだ本物のクズによって、本物の美談に変えられてしまったのだ。

 

 

 

 


「……クソジジイ、死んでまで人を食いやがて!」

 

 

 

 


健二は、窓の外の夜空に向かって中指を立てた。死んでもなお、世界を嘲笑い続ける「いい人」の皮を被った怪物の笑い声が、風に乗って聞こえた気がした…