第1章:湖の静けさと、嫌な音
霧がかったクリスタルレイクの朝は、いつも静かだ。ジェイソンは、この静けさが大好きだった。水面は鏡のように空を映し、鳥の声だけが遠くで聞こえる。冷たい水の中、泥の感触を足の裏で確かめながら、彼はゆっくりと森の中を歩いていた。彼の体は、普通の人間よりもずっと大きく、そして強かった。けれど、彼の心の中は、ずっと昔、あの湖で溺れた小さな男の子のままだった。
彼は、森の木々を友達のように思っていた。彼らは何も言わないし、彼の醜い顔を見て笑ったりしないからだ。彼は、この場所を守らなければいけないと思っていた。ここが、彼と、大好きなママのたった一つの大切な家だから…
しかし、その日は違っていた。昼過ぎから、遠くの方で「嫌な音」が聞こえ始めた。ブォーン、ブォーンという車のエンジンの音。そして、キャーキャーという甲高い笑い声や、ドカドカという乱暴な足音。
ジェイソンは立ち止まり、森の奥からじっとその方向を見つめた。彼の心臓が、ドクン、ドクンと嫌なリズムで打ち始める。まただ。また、「彼ら」がやってきたのだ。静かな湖を汚し、騒ぎ立てる、招かれざる客たちが…
彼の頭の中で、警報が鳴り響いた。平和な時間が、壊されようとしている。彼は、自分のテリトリーに侵入してきた異物に対して、強い不快感を覚えた。それは、自分の部屋に勝手に入ってきて、大切なおもちゃを壊していく意地悪な子供たちを見るような気持ちだった。彼は、早くその騒音を止めたかった。ただ、静かにしてほしかった。
第2章:頭の中に響く、ママの声
騒音が大きくなるにつれて、ジェイソンの頭の中で、もう一つの声がはっきりと聞こえるようになってきた。それは、優しくて、でも少し悲しそうな、大好きなママの声だった。
『ジェイソン、私の可愛いジェイソン。見てごらんなさい。また、悪い子たちが来たわ…』
ママの声は、風の音に混じって聞こえてくる。彼は、森の奥にある古びた小屋へと向かった。そこには、ママの古いセーターや、ママとの思い出の品が飾られた、彼だけの秘密の祭壇があった。
『あの子たちは、ここを汚しに来たのよ。昔、あなたを湖に突き落として、溺れさせた悪い指導員たちと同じ。あいつらは、楽しむことしか考えていないの。私たちのことなんて、どうでもいいのよ…』
ジェイソンは、祭壇の前で小さく頷いた。そうだ。ママ…ママの言う通りだ。ここに来る若者たちは、みんな同じなんだ。大声で歌い、食べ物を食い散らかし、飲み物を飲んで、服を脱いで騒ぎ回る。彼らは、ジェイソンがどれだけ苦しんだか、ママがどれだけ悲しんだか、何も知らない。
『守るのよ、ジェイソン。この場所を、私たちの家を。あの子たちを追い払いなさい。二度と、ここに来ないように、追い払うの。悪い子には、お仕置きが必要よ…』
ママの言葉は、彼にとって絶対の命令だった。彼は、ママを喜ばせたかった。ママが「いい子ね…」と言って頭を撫でてくれるなら、彼は何だってするつもりだった。彼の胸の奥で、熱い怒りのようなものが渦巻き始めた。それは、恐怖の裏返しでもあった。もう二度と、誰にも馬鹿にされたくない。もう二度と、溺れて苦しい思いなんてしたくない。だから、彼は戦うことを決めた。
第3章:侵入者たちの姿
夜になり、湖畔のキャンプ場は、若者たちの騒ぎ声で満たされていた。焚き火の明るい光が、森の闇を不自然に照らしている。ジェイソンは、太い木の幹の影に隠れて、じっと彼らを観察していた。五人、いや、六人いるだろうか。彼らは音楽を大音量で流し、奇妙な踊りを踊っている。彼らが持っている缶からは、鼻を突くような変な匂いがした。
彼らのすることすべてが、ジェイソンには理解できなかった。なぜ、あんなに大きな声を出す必要があるのだろう?なぜ、わざわざ暗い森の中に入り込んでくるのだろう?静かにしていれば、誰も傷つかずに済むのに…
「ねえ、ちょっとトイレに行ってくるわ!」
一人の女の子が、仲間から離れて、森の方へと歩いてきた。ジェイソンは息を殺した。彼女は、ジェイソンが隠れている木のすぐそばを通り過ぎた。彼女からは、甘ったるい香水の匂いがした。それは、森の自然な匂いとは違う、異質な匂いだった。
彼女は、森の暗闇を怖がっているようだった。キョロキョロと辺りを見回し、小さな物音にもビクッと体を震わせる。ジェイソンは不思議に思った。そんなに怖いなら、なぜここに来たのだろう?彼らの行動は、矛盾だらけだった。楽しそうに騒いでいたかと思えば、急に怖がったり、泣き出したりする。
彼は、彼らが人間というよりも、何か理解不能な、騒がしい別の生き物のように見えていた。そして、その生き物は、害虫のように、彼の家に巣食おうとしているのだ。何とかして駆除しなければ。そう思った瞬間、彼の足は自然と一歩前へと踏み出していた。
第4章:最初の「静粛」
最初の接触は、とても唐突だった。森の奥へ入ってきた男の子と女の子が、いちゃつきながら、ジェイソンのすぐ目の前に現れた。
「キャッ! 誰かいる!」
女の子が叫び、男の子が懐中電灯をジェイソンの方に向けた。光が、ジェイソンの顔を照らした。
「うわっ! なんだお前、その顔!」
男の子が驚いて、持っていた棒切れを投げつけてきた。棒はジェイソンの肩に当たったが、彼は痛みを感じなかった。それよりも、彼らが自分の顔を見て「驚いた」こと、そして「攻撃してきた」ことに、強い反応を示した。瞬時に昔の記憶が蘇る。みんなが自分の顔を見て笑った。石を投げてきた。そして、湖に突き落とした…
――まただ。また、みんな、僕をいじめるんだ…
ジェイソンの中で、防衛本能が働いた。彼は、ただ彼らを止めようとしただけだった。静かにさせたかったのだ。彼は男の子に向かって手を伸ばし、その体を強く押した。ドスッという鈍い音がして、男の子は木の幹に激しくぶつかった。そしてそれきり、動かなくなった。
「キャーッ! 人殺し!」
女の子が悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。ジェイソンは、自分の手のひらをじっと見つめた。彼は、そんなに強く押したつもりはなかった。ただ、少し黙らせようとしただけなのに…人間は、どうしてこんなに脆いのだろう?木の枝のように、簡単に折れてしまう。彼は困惑した。でも、ママの声が聞こえた。
『よくやったわ、ジェイソン。それでいいの。悪い子は、そうやって懲らしめるのよ…』
ママが褒めてくれた。それなら、これで正解なんだ。彼はそう自分に言い聞かせた。そして、逃げた女の子の後を追った。彼女の悲鳴が、森の静けさを引き裂いていた。その音を、止めなければいけない…
第5章:仮面の下の安心感
騒ぎの中で、ジェイソンは偶然、古い納屋で白いホッケーマスクを見つけた。彼はそれを手に取り、自分の顔に当ててみた。マスクの小さな穴から見える世界は、いつもより少し狭かったけれど、なぜだかとても落ち着いた気分になった。
このマスクをしていれば、誰も僕の顔を見て笑わないはず。誰も僕の顔を見て、気味悪がったりしないはず。この白い無表情な仮面は、彼と外の世界を隔てる、頑丈な壁のようなものだった。
マスクをつけると、なんだか自分が強くなったような気がした。もう、ただのいじめられっ子のジェイソンではない。ママの言いつけを守る、強い番人になったのだ。彼は、再びキャンプ場に戻った。残りの若者たちは、仲間が戻らないことを心配して、ざわめき始めていた。
「おい、誰かいないか? 冗談はやめろよ!」
一人の男が、大声で叫んでいる。うるさい。うるさい。本当にうるさい。ジェイソンは、納屋で見つけた鋭い農具を手に持っていた。彼は、それを武器だとは認識していなかった。それは、庭の手入れをするための道具、邪魔な雑草を刈り取るための道具。彼にとって、この若者たちは、森に生えた巨大な雑草と同じだった。
彼は音もなく彼らに近づいた。マスクの下で、彼の息遣いは荒くなっていた。恐怖と興奮、そして使命感が入り混じっていた。一人、また一人と、彼は雑草を刈り取っていった。やがて彼らが動かなくなると、その場所には静けさが戻った。彼は、決して彼らを憎んで殺しているわけではなかった。ただ、掃除をしている感覚に近かった。汚れた場所を綺麗にするように、騒がしい場所を静かにする。それが彼の仕事だった。
第6章:終わらない追いかけっこ
最後に残ったのは、一番最初に森で見た女の子だった。彼女は他の誰よりもうるさく叫び、そして一番速く逃げ回った。ジェイソンは、彼女の後をゆっくりと確実に追いかけた。彼は走らなかった。走る必要がなかったからだ。女の子はきっと、慌てて転んだり、行き止まりに迷い込んだりして、結局は彼の前に現れるはず…
女の子は、泣きながら森の中を逃げ惑い、やがて湖の桟橋へと追い詰められた。行き止まりだ。彼女は振り返り、マスクをつけた巨大な影を見て、絶望的な悲鳴を上げた。
「お願い、助けて! こっちに来ないで!」
彼女は必死に懇願した。しかし、その言葉の意味は、ジェイソンには届かなかった。彼には、彼女がただ、最後の抵抗として大きな音をひたすら出しているようにしか見えなかった。
なぜ、そんなに嫌がるのだろう?静かになれば、もう怖くないのに。眠ってしまえば、もう痛くないのに…
彼は、水の中で苦しんだあの時の自分を思い出していた。水が口の中に入ってきて、息ができなくて、とても苦しかった。でも、意識がなくなる直前、不思議な安らぎがあったことも覚えていた。彼は、彼女にもその時の安らぎを与えようとしているだけなのかもしれなかった。彼なりの、歪んだ優しさだった。
彼は桟橋に足をかけた。女の子は後ずさりして、そのまま湖へと落ちた。バシャンという大きな音がした。彼女は水面で必死にもがいたが、やがてその動きは小さくなり、水の中へと沈んでいった。ジェイソンは、水面が再び静かになるまで、じっとそれを見つめていた。昔の自分を見ているようだった。でも、誰も助けに来ることはない。それでいいんだ。これで、すべてが終わったんだ…
第7章:戻ってきた静寂の中で
朝日が昇り始めた。湖は、昨夜の騒ぎが嘘のように、再び元の静けさを取り戻していた。燃え尽きた焚き火の跡と、散乱したゴミだけが、彼らがいた証拠だった。ジェイソンは、森の奥の小屋に戻った。彼は、ママの祭壇の前に立ち、ホッケーマスクをゆっくりと外した。彼の素顔は、朝の光の中で、ひどく疲れて、悲しそうに見えた。
『えらいわ、よくやったわ、ジェイソン。あなたはママの自慢の息子よ…』
ママの褒める声が、頭の中で優しく響いた。彼はその声を聞いて、ようやく安心したように息を吐いた。彼は、祭壇に置かれたママの古いセーターにゆっくりと顔を埋めた。そこからは、懐かしい土と埃の匂いがした。彼は、大きな体を小さく丸めて、子供のように目を閉じた。
彼は、人殺しを楽しむ怪物ではなかった。彼は、ただ、怖がりで、孤独で、ママが大好きな、永遠の子供だった。彼が望んでいたのは、血や悲鳴ではない。ただ、この湖で、ママの思い出と一緒に、静かに暮らすこと。それだけだった。外では、小鳥がさえずり始めた。平和な朝が戻ってきたのだ。
しかし、ジェイソンは知っていた。この静けさは、きっと長くは続かないことを。またいつか、必ず新しい「騒音」がやってくる。その時が来たら、彼はまたマスクを被り、この場所を守るために立ち上がる。それが、彼に与えられた、終わりのない悲しい役目なのだから。
ジェイソンは、次の騒音が聞こえてくるまで、ママの夢を見ながら、深い眠りについた。湖の底のように、深く、静かな眠りに…