歴史 時代 Historical Fiction
第一章:墨の薫り、春の宵 慶応三年、春。京都の街は、幕府の権威が砂の城のように崩れ落ちようとする、不穏な熱気に包まれていた。鴨川のほとりに建つ古びた長屋の一室。そこには、市井の絵師として名を馳せている雪舟という男がいた。雪舟は、御用絵師のよ…
第一章:灼熱の静寂と、巨大な標的 一九八四年、真夏のペルシャ湾。海面はまるで溶けた鉛のように重く、太陽の光を跳ね返していた。気温は優に五十度を超え、湿度は肌にまとわりつくように高い。この世界で最も過酷な海域の一つであるホルムズ海峡は、同時に…
第一章:草履とハイヒールの再会 現代の首都、東京。その中心にそびえ立つ超高層ビルの最上階に、一人の女が立っていた。豊臣秀子(ひでこ)、二十七歳。彼女はこの数年で、日本最大のIT物流企業「サル・ホールディングス」を築き上げた若き女帝である。そ…
第一章:霧の底の産声 慶長の頃、鈴鹿の山並みは深い霧に閉ざされていた。その湿った闇を切り裂くように、一人の女忍者が走っていた。名を、阿音(あのん)という。漆黒の装束は泥と返り血に汚れ、肩で息をするたびに胸元が激しく上下する。だが、彼女が何よ…
第一章:崩壊と独裁 その日は、あまりに静かな朝から始まった。午前七時三分。関東全域を襲った巨大地震は、これまでの防災計画をあざ笑うかのように、一瞬で都市の機能を焼き尽くした。高層ビルは悲鳴を上げて軋み、主要な道路は巨大な地割れによって寸断さ…
第一章:輝きの記憶と、雪原に咲いた希望 一九八四年二月、バルカン半島の中心に位置する都市サラエボは、世界中から集まった熱い視線と、冬の寒さを溶かすほどの歓喜の渦の中にあった。社会主義国で初めて開催される冬季五輪ということもあり、この街はかつ…
第1章:花の都と、影の男 室町時代、足利将軍が住まう豪華絢爛な「花の御所」を中心とした京都。そこには、見る者の魂を瞬時に奪い去ってしまう、一人の天才的な舞の名手がいた。彼の名前は若狭(わかさ)。細身でしなやかな体つき、そして雪のように透き通…
第1章:夢の始まり 一九六〇年代、世界中の人々は空を見上げていた。もっと遠くへ、もっと速く。そんな純粋な願いを形にするために、イギリスとフランスという二つの国が手を取り合った。彼らが作ろうとしたのは、ただの飛行機ではない。音の速さを追い越し…
第1章:泥沼の戦場と酒樽の隠者 慶応四年、鳥羽・伏見。硝煙が鼻を突く。空は鈍色に淀み、断続的な銃声が鼓膜を震わせる。新政府軍と旧幕府勢力が激突する最前線で、一人の男は震えていた。その名は善吉。志も矜持も持ち合わせぬ、単なる場違いな博徒である…
第一章:凡庸なる憤怒 ウィーンの宮廷楽長、アントニオ・サリエリは、今まさに自らの執務室で、全身を小刻みに震わせていた。原因は、机の上に置かれた一通の楽譜。そこには、下品な冗談を連発するあの放蕩息子ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、…
第一章:重税の芳香 一七七三年のボストン。港に漂うのは、潮の香りを遥かに凌駕する不条理の異臭だった。イギリス本国が押し付けてきた茶税という名の嫌がらせに対し、入植者たちの我慢は、今や沸騰直前のヤカンよりも激しく震えている。サミュエル・アダム…
第1章:竪琴の沈黙 冥府の最奥から地上へと続く、終わりの見えない螺旋状の回廊は、静寂そのものが黒い粘土のような質量を持ってオルフェの全身を圧迫していた。指先は死者の国特有の、脂ぎった冷たい湿り気を吸い込み、かつてオリンポスの神々さえも陶酔さ…
第一章:傲岸なる城壁 ユーフラテスの大河が、灼熱の太陽を反射して鈍い黄金色に輝いている。五千年を遡るシュメールの地に、人類史上最古の都市ウルクは屹立していた。その中心で、神の如き威容を誇る王ギルガメッシュは、天を衝くほどに高い城壁の頂上から…
第一章:切通しの再会 幕府の本拠、鎌倉。雨に濡れた極楽寺坂の切通しに、かつて鬼岩と恐れられた異端の舞師、義次は立っていた。武家の支配が盤石となり、静寂こそが美徳とされるこの世において、彼の胸中に潜む騒乱の種火は消えていなかった。蒙古襲来の予…
第一章:八百八町の道化 陽光が照りつける神田の露地裏、一人の男の笑い声が不自然に響き渡る。長屋の徳次は、今日も今日とて下らない駄洒落を連発し、天秤棒を担ぐ棒手振りや洗濯板を叩く女房連を煙に巻いていた。その軽薄な口調、大袈裟な身振り。誰もが彼…
第一章:泥濘からの昇華 大陸の乾いた風が、新京のプラットホームに吹き荒れる。外套の襟を立てた男、甘粕正彦は、かつての憲兵大尉としての汚名を北の大地に葬り去っていた。大震災の混乱、大杉栄殺害事件――帝都を揺るがした凶事は、彼にとって忌まわしい過…
第一章:落ちぶれ侍の、汚れた草履 江戸の冬は、乾いた北風が全てを削り取っていく。本所深川。泥濘(でいねい)が凍りつき、下水の臭いが冬の乾燥した空気に混じる路地の突き当たり。そこに、松村源三郎(まつむら・げんざぶろう)という男が住み着いてから…
第一章:一九〇〇年、光の門(パレ・エレクトリニック) 西暦一九〇〇年、パリ。世界は、眩いばかりの「電気」という名の魔法に酔いしれていた。新世紀の幕開けを祝うパリ万国博覧会の会場にそびえ立つ「電気宮(パレ・エレクトリニック)」は、数万個の電球…
第一章:栄華の絶頂、あるいはパワハラの極点 西暦九九五年。平安京の空気は、春のうららかな陽気とは裏腹に、どろりとした「権力の欲望」で煮詰められていた。 「いいか、道長。よく聞け。この世はな、椅子取りゲームだ。それも、ただのゲームじゃない。椅…
第一章:閉ざされた山寺 ―― 白銀の牢獄 天文十八年、越後の山々は例年になく早い冬の訪れに、その険しい貌(かお)を凍りつかせた。標高一千メートルを超える断崖の先に、へばりつくように建つ「瑞雲寺(ずいうんじ)」。かつては高僧が修行を積んだとされる…
第一章:開演の狼煙 ―― 殺し合いはもう飽きた 天文十八年、越後から九州に至るまで、日の本全土は果てしない戦火に包まれていた。百年に及ぶ戦乱は、土地を荒らし、血の川を成し、人々の心から希望という名の種をことごとく踏みにじってきた。武将は裏切りに…
第一章:落日の形而上学と、「必然」への問い 戦国末期、日ノ輪家の城は、形式的な権威の残骸を纏いながらも、内側から蝕まれていく構造的腐敗の象徴だった。傍流の立場にあった若き士(さむらい)は、夜な夜な城の隅にある書庫に籠もり、乱世が続く理由を深…
第一章:八百八町のネオンと、鉄の腕の浪人 ―― 錆びたOSへの反逆 文久三年、京の夜。かつて静寂が支配していた古都は、今や「蒸気」と「回路」が支配する、歪な電脳都市へと変貌を遂げていた。瓦屋根の隙間からは、高圧蒸気を吐き出す排気筒(ダクト)が巨大…
第1章:能面と血の通った顔 寛政6年(1794年)、江戸。阿波徳島藩のお抱え能役者、斎藤十郎兵衛(29歳)は、武士の規律と能面の冷たさに魂を奪われそうになっていた。夜な夜な、彼は芝居小屋の裏で、役者たちの醜さ、欲、焦燥といった人間の「真実の顔」を墨…
序章:天の異変と孤独な観測者 紀元前211年、天下を統一した秦。都・咸陽の宮廷は、不老不死を追い求める始皇帝の狂気と、それに付き従う廷臣たちの緊張で満ちていた。星見(せいけん)は、25歳の若さで欽天監(天文台)に勤める天文官だ。彼は、星の運行を…
第一章:焦土の芽吹き 大正デモクラシーの華やぎは遠い過去となり、日本は戦乱の渦中にありました。大陸での戦いは泥沼化し、やがてその火は太平洋へと飛び火したのです。空襲警報は、もはや日常のサイレンと化し、人々は耳をつんざく爆撃の音に怯えながら、…
第1章:埃と板の上の夢 1898年、ヴィクトリア朝末期のイギリス北部、ランカシャー地方の産業都市ウィガン。町の空気は、石炭の微細な粉塵と、綿工場から排出される油の粘りついた匂いで重苦しく澱んでいた。少年たちのほとんどは、朝から晩まで工場や炭鉱の…
第1章:千年の時を超える手紙 「空海…弘法大師か。まさか、あの男の謎を追うことになるとはな…」 江戸崎俊介は、真言宗の僧侶から預かったという、一枚の古びた巻物を広げた。巻物の表面はひび割れ、墨で書かれた文字はかすかにしか読めない。しかし、その筆…
第1章:屯所の静寂と監察方の目 物語の舞台は、元治元年(1864年)夏。京都、西本願寺の広大な敷地に移った新選組の新しい屯所。シンは、隊の規律維持を担う監察方の一人である。隊の「誠」の旗は、中庭の旗竿に高く掲げられているが、風は全くなく、だらり…
第1章:変革の胎動(19世紀後半~20世紀初頭) 私、王 明がまだ幼かった頃、この国は深く傷ついていました。日清戦争の敗北は、まるで天が崩れ落ちたかのような衝撃でした。父はいつも言いました。「清はもう終わりだ。この国に明日はない…」と。私たちが暮…